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児童ポルノではすみません、そんなものではありません

 

この絵、シリーズもので森美術館の個展で展示されて、市民団体からクレームがあったと記憶しているのだけど、検索して見つけました

 


森美術館 | 2013年森美術館で残虐な児童ポルノが展示された問題について | ポルノ被害と性暴力を考える会

 

第一印象として、記事が「面白くない」と感じていたのですが、何に対して面白くないと感じているのかをはっきりとつかめずに、モヤモヤしていた。どこか違和感を感じて、思い出してはモヤモヤ、、、、。思い出してはモヤモヤ、、、、を繰り返しています。

 

この揉め事自体は、美術館側も市民団体側もどちらの言い分も正しく、もめたこと自体には違和感を感じていません。そりゃーもめるでしょう、と思います。

 

違和感の正体=面白くないの正体を突き止めるべく、感じていることを言語化しようとしているのですが、難しい。

試しに、この絵の女の子を正反対の人物に入れ替えてもこの絵の不快感は変わらないのだろうか?と想像してみると、、、、。

うーん、私には作画の能力がないのでビジュアルでの表現はできませんが、少女の反対の存在として中年の男性がこの絵の中に収まったとしても、気持ち悪さは増すだろうし、身体欠損の不愉快さは決して減らない、と思いました。

例えば、中年男性が両膝から下部を欠損し、両手首から先を失って、包帯を巻いている。ここで人物に日本軍の制服を着せてみると、どのような絵になるのでしょう。首にはチェーンの首輪つきで舌をだして上方を見あげているポーズです。

 

ここまで置き換えてみると、なんだか絵の意味が変わってしまいそうです。

 

えーっと、この絵の「不愉快パワー」の質的な部分って、「体の一部を失った人を人間扱いしていない」という部分だと思いました。

乱暴にまとめてしまうと「人をなめてんのか?」という不愉快さです。そんな言葉があるかわからないけれど「反人間性」

 

それで、結論として違和感のもとはどこにあるのかというと、「児童ポルノ」や「残虐」では問題が小さすぎやしないかい?、、、、というところ。

 

では「反人間的」だ、というニュアンスで抗議されていたら違和感は無かったか?あくまでも仮定なのですが市民団体の言い分をもう少し丁寧に読み込んだと思う、少なくとも「面白くない」と斜め読み、ではなかったはず。


クレームに賛意の著名を求められたら、サインするか?、、、しませんね、きっと。

この絵で表されていることって現実には「身体の変形・欠損=変わりモンへの不寛容」という形で日々わたしの周りでも起きている出来事だから、と思うのです。ある特定の人々の不愉快さを狙ってこの表現、というよりももっと社会全体に対して投げかけられている、美術を使った表現だと考えられます。


この絵を見たくないという人の権利はもちろん認めたいですね。見たくない気持ちはとてもよくわかります。違和感がある=面白くない、と感じてしまう質なので、見たくない人の立場も支持したい。


現実にあることは表現したい立場も見たくない立場も両立する方法はあるのか?

 

 補足として、このシリーズ、作家の初期作品だったと思う、うろ覚えですが。今回は作者の作成意図は読んでいません、どこかにあるのかな。