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オルタナティブな故郷の風景はどんなもの?

30歳過ぎから生活環境の変転が続き、生活の中で音楽や美術とは距離がありました。

ここのところブログ(日記)を始めたり、新しいCDをたまに買ったり、美術のHPを見たり、画集を購入したりなど20代の頃に好きだった物の近くに帰って来ることができました。

20代の頃と生活環境は天地ほどの違いがあります。東京区内→沖縄離島(過疎)です。それでも、ポップミュージックや現代美術の近くに帰って来たことは、成長がないのかそれとも、、、。

 

多少変化していることはあって

現代美術では奈良美智さん/村上隆さん→会田誠さん。流行っている物が好きですねぇ。

音楽は変わらず好きなのはマドンナ、今になって買えるようになったという変化です。

人の変化はピチカートファイブ小沢健二からジャミロクワイアンダーワールドくるりダフトパンク、ややブランクがあってS&G、電気グルーヴ

ブランクの前後で音楽の情報源が変わっている、ブランク前はラジオで後はYoutubeをはじめとしたプル型(検索して使う)メディアをラジオと併用しています。

映画は20代のときからデビット・フィンチャーのバイオレンス表現が好き。この映画監督の何が好きなのかはっきり気がついたのは今年。現実感が薄いけれど派手な暴力表現が好きなので、ニュース等で流れる戦争報道など現実での暴力は見ることができません。

書籍も、再び小説を読むようになった。仕事関係の理論書がこの10年間の読書トレンドでしたが、再度物語や小説を読むようになりました。直近で購入したのは、松浦理英子さんの「奇貨」 。面白い!

現代美術は流行っている表現、これからパワープレーヤーになりそうな人が好きで、映画は現実感が少ないけれど派手な暴力表現ができる監督を好み、音楽についてはだいたいのところマドンナとその他といったところでしょうか。小説については、今の主流の価値観を補強するようなものではありません、という物語。

生活環境の変転に次ぐ変転にもかかわらず、この変わらなかった好みのテイストは、私の精神的な帰りたい場所(故郷)なのかもしれない。ほんとうの実在する郷里ではなく、実態のないオルタナティブな故郷なんだとおもう。

私がひとつの絵や、音楽コンテンツにグダグダ言うのは、未だ見たことのない望郷の土地の風景がどのようなものなのかを知りたいのかもしれません。

 

今日はすでに酔っているかも。またねー。