≒水道!の存在感に感動し、言葉の無力さに感じ入る。

20代の頃から今まで、村上さんが翻訳した小説(以下、村上翻訳本)を好きこのんで読んでいます。

グレート・ギャツビーのようなアメリカン・クラシックと今の作家作品が、バランス良くセレクトされ翻訳・出版されるので、すっかりアメリカ文学好きになりました。また、発売の間隔もちょうど良く、飽きがこなかったのも良かったです。

とぎれ、とぎれ、の20年近いおつきあいを村上翻訳本としています

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

 

村上翻訳本の グレート・ギャッツビーは訳文がえらい美文!読んでいる最中に「村上春樹って、こんな美文作家なの?」とやや混乱ぎみで読み進めると、後書きに「原文がとても美しい」とありました。原文が美しいと訳文も美文になってしまうなんてことがあるのか、とても不思議な気分になりました。そんな事ってあるの?

 

今の作家で特に面白かったのがグレイス・ペイリーです。

最後の瞬間のすごく大きな変化 (文春文庫)
 

これを読むと、アメリカ人が好きになります。もう、ホントにね、しょうもないんですよ、登場する人々が。 

 

しかし、私が村上春樹さんに関係する事で、とても感激したことは、小説とは全く関係がありませんでした。それが何かと言いますと、

 

どの職場にも村上春樹の小説を(喜んで)貸してくれる人がいる、でした。

 

 私は大きな転職(職場も住まいも変わる)を3度程経験していますが、転職体験の中でも印象的だったのが、この世の中にあまねく存在する村上春樹読者、という現象でした。

「何処に行っても、誰かが貸してくれる小説、それが村上春樹小説だ!」というような経験で、とっても、不思議。それとも、皆、経験しているのかしら。

この春樹小説の存在感、もう小説よりも別の何かに似ている、なんだろう、何処に行ってもあるもの、、で、、、水道?、、、春樹小説≒水道!、、いやー、いくらなんでも大げさですよ、水道って、インフラじゃないですか、生活に欠かせない、誰にでも与えられるべきものですよ!

、、、ま、あながち、まちがってないかも、、、。国民作家ならぬ水道作家ねぇ、、。水道に値するくらいの存在感が村上さんの小説群に質量ともにあるのは認めざるを得ません。

 

ええ、ふざけるのはここまでにしましょう。

村上春樹さんの仕事の中で一番感激して、尊敬している作品もあります。

これも、小説ではなくノンフィクションなのです。

アンダーグラウンド (講談社文庫)

アンダーグラウンド (講談社文庫)

 

 地下鉄サリン事件の当時、私はテロにあった路線のひとつに毎日乗ってアルバイトに行ってました。この日は、アルバイト先でみな廊下に整列して、点呼というか生存確認のようなものが行われました。

同時代を似たような場所生きて、通勤電車という日常の中でテロにあった普通のひとのインタビューです。乗客と駅員さんのインタビューですが、普通の人々の立派に生きている様子がわかるのと、テロの暴力性が人から奪う、奪い方のひどさが、作りもの、の暴力とは違う。語られる言葉は整っていないけれど、とても生きていて、その生きている言葉がテロの暴力の生々しさを伝えるのでしょうか。

 

続編として、オウム教団側のインタビューもあります。事件から時間をおいてからの出版でした。

約束された場所で―underground 2 (文春文庫)

約束された場所で―underground 2 (文春文庫)

 

 こちらは、(一時期でも)教団に所属していた人のインタビューで、テロ実行犯のインタビューではありません。「この世界にもう楽園は存在しない」という作者の言葉はとても力強いです。

 

上記の2冊は、ぜひぜひ2冊で読むことをお勧めです。が、読後感が極めて重いのですよ。

 

私自身、この2冊を読んで変わったことは

社会制度や世間に対して文句を言わなくなりました。不満が無くなったのではなく、言葉にして人前で言わなくなりました。

なんというか、言葉って無力だな、と感じて。

 

生きている、力強い言葉で綴られたインタビューを読んだ後に感じる言葉の無力さ。

暴力が人に与える良くないことはこのとき感じたような「無力感」なんだろうなーと思いました。

 

ノンフィクションの2冊は手元に置いておくのがつらくて、手放してしまいましたとさ。

 

またねー。