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中年になっても底の浅い人、って私のこと?

後半の人生は気楽なおばさんとして暮らしたいな、と考えています。

気楽さとは「(無駄に)物事にこだわらない」こと、と思っています。

なぜ、「気楽さ」大切にしたいかというと、

物事にこだわりすぎて、気むずかしい人だと思われたくない。なぜなら、気むずかしい人って仕事頼みにくいから。なるべく頼まれ仕事は受けられるだけ受けてみようと考えています。

 

「気楽なおばさん」であって「気楽な生活をしているおばさん」ではありません。

 

私は「人生の伴侶を得、家庭を築き、子を持つ」という伝統的な生活を選ばなかったので(選べなかったともいいます)、「独身、女、子なし」という条件でできる面白い人生ゲーム=バクチを探しているのです。その方が人や人の生き方を理解する機会が得られると思うからです。

私から見れば「夫婦+子」という選択をした人達は結構なバクチを打っているように見えます。結婚する相手によって左右される要素が多いからです。

そのバクチ打ち=面白いゲームを通して、人を理解し、成長している(人もいる)ように感じます。

大人になってからの成長とは「その人なりの見識を持つこと」だと思います。普通の生活をしていても見識を持つ事ができる人もいると思います。例えば、晩年から作家になった幸田文のような人です。この人は家事を精進することによって、人や社会やさらには自然まで、自らの見識を持つことができた希有な人だと思います。1冊読むならこれ ↓ だと思います。

 

幸田文しつけ帖

幸田文しつけ帖

 

 

私の人生の目標はつねに「今よりちょっとはマシな人になりたい」です。

「マシな人」とは「多少、人の気持ちがわかること。同意できなくてもいいので」といったところです。「多少」がつくのは、全く価値観が違う人の考えや気持ちを理解するのは難しいと感じているからです。

人の気持ちを理解することにあたって大切なのは、私の場合は人や社会に対する健全な興味を失わないこと、飽きがこないことだと思ったのです。飽きがこない面白いゲームの設計をしてみたいのです。

その上で、「気楽なおばさん」になりたいのです。できるかな?

 

今の生活のまま、つつがなく人生を過ごせればいいと言うには残りの時間が長すぎるのです。

 

いつもどおり、考えはまとまらず、結論は出ません。

自分がどうありたいのか?については薄々みえてきました。「自分の見識を持ちつつも気楽なおばさんになりたいな」もう少し短く言い換えたい。

自分の見識を持つこと:自分のあたまで考えること。考えるべき対象=見識を持ちたい分野をしぼること。いくら考えても、苦痛にならない分野を見つけること。

気楽なおばさん:自分が見識を持たないこと(自分のあたまで考えなかったこと)に対して、謙虚であること。

 

うーん、もう時間切れなのと、あまりに考えがまとまらず、書けません。

普段、ろくに考えていないことがもろばれですね。底の浅さにウンザリします。

 

またねー。