ベースのある街には住まないと決めたとき

うっかり、朝生をみてしまいました。沖縄の日常に暮らす中で必要になる(と思っている)政治的感覚について、整理してみたいと思います。結論を出さないまま書き始めているので、グダグダになるかも。でも、始めてみましょう。

 

沖縄本島の田舎に住むことは米軍基地の近くに住むことです。

 

私は政治運動や市民活動には参加しないと決めていますが、政治・社会の課題に興味がないわけではありません。興味が無くても巻き込まれてしまうのが、社会や政治、経済だと思うので、自分なりの態度を決めようと、少ないアタマをウンウンと絞っています。

 

しかし、怠けものの悲しいところで、具体的に自分に関わらない事には興味・関心を保つことができません。社会的に話題になったときは一生懸命情報収集するのですが長続きしない。

 

興味が長続きしないもののひとつが、沖縄に住むならば避けられない「米軍基地をどう捉えるか?」だと思っています。

 

私は那覇の中心部育ちで、「ナーファンチュー(那覇の人)は基地に冷たい」と地元で言われるように、(言われているのです。)基地問題には割と冷めた態度です。

冷めた態度の基本的な考えは

思いやり予算(在日米国駐留軍の維持費)がある限り、米軍は撤退しない。

思いやり予算は国会で決定(多数決)されて、地元の意向は反映されない。

③米国の戦略はその時代の覇権国家のパワーバランスで決まり、日本の意向は反映されない。(少なくともこの件については日本に主権はありません。)

④米ソ戦争(その当時の二大覇権国家)が始まったら、東京より先に死ぬ。

というのが、沖縄の在日米国駐留軍(以下「駐留軍」)と周辺状況にたいする認識です。

 

えー、この三つをもっとシンプルに言い直すと

「駐留軍の配置に関して、日本は領土内においても自国の決定ができない。つまり主権はありません。かつ、駐留軍の最大の弱点である膨大な維持費を日本が負担しているので、米国側に撤退するメリットが存在しません。米国は世界の覇権国家間のパワーバランスによって、施設配置を決定できます。ソビエトと戦争が始まれば、、、沖縄って死ぬの?」

まったく、シンプルにならないね、、、、。ま、いいか。

 

とにかく、上記のような基本認識を持っています。現状を変える手段がないので無関心です、という感じです。

なので、

①日本政府に米軍基地縮小の交渉能力はない。(政治での解決は望めない)

②沖縄で暮らし、米軍基地に関して考えること(結論を出すこと)は、個人の態度をどうするか?だ。(個人的な解決はできるかも)

と考えました。

ここまで考えて、しかし、ナーファンチューの悲しいところ、具体的に関わらないことについては考察が進みません。

 

駐留軍に対してどのような態度を取るかが具体的になったのは、2008年頃に「田舎に引っ越そう」と決めたときでした。

この引っ越しの詳細については別に書きました。このときに

「ベースのある場所には住まない」

と個人の態度を決めたのです。

 

駐留軍がある市町村には土地の賃借料が市町村の収入として入ってきます。そこに住めば、公共施設の充実など住民として様々なメリットがあり、間接的ではありますが基地収入を受け取ることになる、と考えました。

ベースのある街に住まないとは、基地収入は受け取らない。という意味です。

戦争が始まったときに死ぬかどうかは運だ、と考えています。

 

ここで、注目して欲しい事は「田舎に引っ越す」ことで駐留軍が身近になる、という事象についてです。

私にとって、田舎=自然の美しい場所、なのです。が、その近くに住もうと思うと駐留軍も身近になってしまいます。

 

知って欲しい事は、沖縄(本島)の田舎に住むこと≒駐留軍が身近になること、であり社会的・政治的に駐留軍をどうとらえるかでなく、あなたはどういう態度(距離感)をとるのですか?を問われることになるのです。

 

個人の距離感を持っていないと、瞬く間に政治活動に巻き込まれてしまいます。巻き込まれることが不本意ならばこそ、個人の態度・意見・距離感を持っていないと危険だと感じています。

これが、沖縄で普通に具体的に暮らすときに必要な情報のひとつだと思います。

 

軍事施設とどのような距離を保って暮らすか?という政治センスを問われるのは、沖縄独特かもしれませんね。

 

またまた、おいおい、整理してみたいトピックです。

 

そんじゃ、また。