一人ひとりの戦場。

昨日は沖縄慰霊の日でした。

「この世の地獄を集めたのが沖縄戦だ」という言い方をよく耳にします。

 

今の日本で地獄はなくなったのか?と考えてみると、、、うーん、、すんなり、「はい!」とはいえません。なぜかと申しますと、

こんなマンガを読んでしまいまして、、、。

虹ヶ原 ホログラフ

物語は、郊外の街を舞台に小学校五年生の一クラスの子どもたちの当時とその後が時間を前後しながら描かれていきます。

小学生の日常なので学校と家族(放課後)、大人になってからはバイト/仕事、の場面が描かれていきます。

戦争と比較するのはかけ離れているように見えますが、個人から希望を奪ったり、逃げ隠れできない雰囲気など、ひとりの人に作用した暴力性は似ていると思うのです。

ゼロ年代の暴力は日常の中に悪びれもせず存在していた。

 

一つ戦争と違うのは学校はいつか終わる。学校に存在していた地獄は卒業すれば解消されます。地獄が解消されるって、変な言い方ですが、実態に近いと思います。

漫画ではありませんが、この本の「子育て失敗中」というエッセイを読むと、まさに学校にある地獄を経験している当事者の手記、という感じです。息子さんの詩は子どもはいつの時代も無力な存在なことに思いいたり、おもわずホロリとさせられます。

カリコリせんとや生まれけむ (幻冬舎文庫)

 

 

 

問題は地獄の存在が「日常」にあった場合、子どもの立場からすれば「日常≒家族/家庭」ですが、その、家庭が地獄な子どもたちは、「この戦争はいつ終わるかわからない」という大変気の毒な状況になります。

家庭が地獄だった人が健全に自立するまでの物語がこの漫画です。

母がしんどい

絵柄と内容のギャップはものすごい。母親に苦しめられた人には福音になる漫画だと思います。

親を相対化できるって自立には必要な事なのだと、つくづく納得させらるストーリーです。

親を相対化できるとは、

親がどのような人であり、その人とつきあう自分にとっての一番良い距離を自分で決められること、だと思います。

 

こうやって並べてみると、みんな「自分専用の地獄」でも持っているのかしらというくらい、それぞれの地獄を生きている。

世の中が戦争でも平和でも、戦場の中に生きている人(暴力にさらされ続けている人)はいて、その戦場も一人ひとり、経験することが違ってくる。

一人ひとりが自分の戦場の体験をその人の表現で表せるようになれば、それがどこかで誰かの福音になる(かもしれないね)。

そう考えると「数の少ない変わり者にも救済がある」という、そういう世の中になったのだと思いました。

 

70年前の地獄は大きな地獄(敗戦)で、解決も大きな解決(戦後復興/輸出型経済成長)が示されたけれど、今は地獄も個人戦で、それぞれの戦場を生きている。解決策もそれぞれの解決策が示されるようになった。

 

うーん、よく表せない。では、まとめ。

地獄だったら温泉のほうがいいな、とのんきにブツブツ言える平和をかみしめよう!

またねー。