今の社会の主力は無教養な40代だ(仮説)

 だいぶ前に書きました。会田誠さんの「犬」シリーズ。

nicomoco.hatenadiary.com

 

 

 このエントリで書いたのは、この絵は児童ポルノではないでしょう、という趣旨でした。これに関して作者の文章を探していたのですが、やっと見つけました。

以下は作者本人のエッセイです。

www.gentosha.jp

このシリーズのなかで「犬」の制作過程についてもふれています。

幻冬舎HPの会員にならないと読めませんが、無料です。

 

作者はエッセイの中で美術家はバカだという発言をしています。

しかし、このエッセイを読む限り「ひとりの人がよくよく考えたことについて話す」のは、すごく面白い。ときには「そんなことを考えるのに時間を使っているのか?」という衝撃の内容もありますが、一読の価値があると思います。

やはり、専門分野である美術の世界との共通点のある話題や作者の作品と関係のあることについては、ぐいぐい読ませます。

東京におけるシンボル性の高い建築物はなにか?や児童ポルノやエロ絵についてなど普段は考えることのない(私はたまにしか考えません)お題については、根拠は希薄ながらなぜか納得させられます。

 

ま、つまりはこれだけのことを考えることができるなら、バカではないでしょうということです。ただし、考えている対象が(一部の人には)バカバカしい、のだと思いました。ここまできたら、もう、立派。たぶん、誰にも頼まれていないのにここまで考えている(はず)。スバラシイ。

 

とくにポルノの社会的役割については、都市は貧しいモノにも利用できる(誰でも使える公共)空間を持たなければならない、というまちづくりの基本理念と重なるところがあり、えらく納得。

それで、公共空間がないと力の弱い者(子ども、貧困者、ホームレス)の集団の居場所(仲間と手軽にコミュにカーションできる場所)が無くなり、都市近辺にスラムを形成し、これが後々犯罪の温床となる、というストーリーも似ている。

都市近辺にスラムができるのは、中心市街地の空洞化によるものですが、日本の場合は安く使える商業施設、カラオケボックスとかで密室化しそうですね。

 

おっと、脱線してしまいました。

 

エントリの結論は、「犬」に関する児童ポルノ騒ぎの結末からすると

 

日本って一般の人が音楽や美術、あるいはダンスとかの表現をする人達の知性をうまくはかるスケール(ものさし)を持っていない。専門の人は世界的に通用する実力を持っていても、それをみている観客が価値判断ができない。観客が育っていないのです。

これは音楽・美術にかぎった事でなく、今までの教育は生産者/表現者になるための技能習得教育が主力でそれを見る側の教育(リテラシー)が置いてきぼりになっていたのです。(根拠のない断言ですが、、、。)

 

あくまでも現在の40代が受けた(地方での)教育の範囲の話ですけどね。

でも、その教育のない40代は団塊Jrで数も多く、今では世の中の主力として働いている人達です。

 

この、騒ぎの背景にはこのような社会状況があるのでは無いかと推察してみました。

ちゃんちゃん。

 

またねー。