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帰って来た・お母さんと一緒、台風と共に。

話し言葉

出張の後、台風の影響でフェリーが欠航になり、予定していなかった里帰りができた。

お風呂にいったり、マッサージしたり、シマでは買えない買い物したり、時間ができたことで普段より慌ただしく過ごし、実家についたとたん爆睡。

親と過ごす時間を増やしたいが、実家滞在時間のほとんどを寝て過ごす。

何をするわけでもなく、母が見たいというテレビ番組を一緒に見て過ごす。以前はこの時間がすごくもったいなくて、自分の読みたい本や映画や見るために自室にいる時間の方が長かったっけな、などど思い出す。

実家から離れたことによって自分の時間や場所を得て、親と会っているときは親の都合を優先することができるようになった。

 

77歳の母から、「今年の夏はこの服を着るつもりだ。」といくつか服の組み合わせを見せてもらったのだが、77歳にして、「今年はこうする。」が決まっているのはすげーなと身内ながら関心。

見た目の美しさは女性にとっては自尊心に結びつきやすい、ものなのだろうか。やはり。

母は美人の継母に育てられている。私にとってはおばあちゃん、写真で見ると確かに美人だ。美容師だったので見かけ(服)にも気を使っている。若いときの写真は時代的に存在しませんが(戦争の前のものはほとんど残っていません。)さぞかし洗練された美人であったろう、と想像できます。

 

この母親と比較されたらきついだろうなー、と思います。

 

母は娘の私に対して、太った痩せた、歯茎の色が悪い、安物の服ばかり着るんじゃないよ、などなど口うるさいのです。

そして、私が祖母の写真を見て「美人ってのはいいねー」という発言をすると、微妙な顔をして黙り込んでしまいます。

子どもの頃から、私の母がよそのお母さんより化粧や服にお金と手間をかけているように感じていました(それだけ母自身の経済力もありました)。

お母さん、そうやって自分自身を作ってきた人なのだ、とやっと思い至りました。自分の稼いだお金で化粧品や洋服を買い、外見を整えて、お母さん自身を作ってきたのだな、と、私たち兄弟4人を育てながら。

決して美人ではない母に私は生き写しのなですが、美人でない場合、服や化粧で印象の操作はかなり作り込めます。それをやらない娘がはがゆくて仕方がないのだなと、41年つきあって、なんとなく「そーなのかー」と思い至りました。

 

そうやってきた人が77歳になって「今年の夏はこれを着るの。」と考えているのだ。

 

女にとって、見た目の美しさは、その人がどんな人になるか(=人格形成)を大きく左右する要素になるんだ、そんな当たり前のことを台風の日に考えました。

 

ふと、父を見て、男って自分の容姿ってどう捉えているのかね?と思いました。

このあたり、すごく謎。

 

脱線を戻しまして、母について

77歳でも「かわいいじゃない」といわれたら嬉しいものらしい。

着る服について、ふたりで、あーでもないこーでもない、と言い合うことは多いのですが、「若い人がこういう服を着るのは嫌みだけれど、お母さんの年だとかっこいいと思うよ。」とか、何かと比較対象がないとほめる事ができません。これをもっとストレートに「素敵だ」ということをいいたいのだけれど、言葉が見つかりません。

 

ま、親をほめるって、、、今まで経験していないことだもんな。

こういう「お母さんと一緒・リターンズ」の時間のなかで

じみーに探していきたいと思います。

 

またねー。