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同じ場所に住んでいても生活の背景が違うこと

話し言葉 都市と辺境

私は持ち物の中でも「見た目が愛せないものは長持ちしない」という困ったクセを持っているので、買い物をするときに「便利」に惑わされないことがとても大事です。

 

先日のエントリでアメリカのデザインについて書きました。

 

nicomoco.hatenadiary.com

 

 

アメリカ製品、確かに合理的で感心することは多いのですが見た目が好きになれずに結局使わなかったり、というものも多いです。(iPhone以外の話ですが)

時間と共になれてきて、使うようになったものもあります。カップ付きのトップとか。

 

身の回りにあるものだけではなく、高校生のころは校舎内のこのトイレが良いなど、訳のわからん嗜好があって、わざわざ遠いそのトイレまで行くという謎の行動を取っていました。まったく、困った子どもですね。

保育所のお便り帳には「気に入った服を着てきた日は、着替えてくれない」という保母さんの嘆きが記録されています。

 

持ち物の見た目にこだわりがあっても、ブランドものが好きかといわれたらそれは違います。ま、ブランドものもごくまれに購入しますが、ブランドだからではありません。たぶんね。

 

このように、自分が気に入ったものを買って、使って、というのが幸せだと暮らしているのですが、最近になってやっとこさ「他人からはそう見えない=つまり、気取りやがってと見える」事に気がつきました。

持ち物にこだわっている=普及品で無いものを使っている=気取っている、という単純な図式です。

えー、これは都市部に住んでいるときは全く気がつきませんでした。

田舎にいる人が「気取りやがって」と考える人達だ、ということでありません。

「気取ってる」と見る人は都市・田舎を問わずどこにでもいるけれど、田舎は人が少ないので一人ひとりの反応が解ること、それに加えて、感情を顔に出す事に躊躇がありません。その方が物事がうまく進むことが多いからです。(その理由はまた別に書きますね。)

 

この、「気取りやがって」の何が問題かというと、その、感情を顔に出す人が多いので、会議や会合、あるいは仕事の打合せの時になんの脈絡もなく、その表情、「気取りやがって=(イラついた顔、目の近くが引きつる感じ)」を見ることになるのです。

当初、私の考えている企画や仕事の報告に対するサインだと思ってしまい、たいへんオロオロさせられました。

 

が、あまりにも話の流れとは違うタイミングでその表情を見せるので、

鈍い私でもさすがに

「あ、この人の個人的な、しかも、私的な感情だ」

と気がつきました。 

で、おまけに相手は私的な感情をばりばり仕事に持ち込むタイプだったのですが(これ自体は悪くありません)、仕事自体に情熱を持っている人ではなかった(これが問題)ので、どのように成果を上げてもらうか四苦八苦しました。

 

「気取りやがって」と見る人の気持ちは解らなかったのですが、どうにか対策を取ろうと、その表情を引き起こすタイミング観察しました。

そうすると

私が手帳に予定を書き込んでいるとき

考えをまとめるために、PCでなくノートに文字を書いているとき

iPadにデータ転送しているなど私物の文房具を使っているとき

でした。

確かに、私は文具にお金をかける方だし、見た目や持ったときの感触などウルサイコトを考えています。

 

そういうことならば、

①人前でiPhoneiPadのたぐい(一般的でない商品)は使わない

②自分の趣味興味については黙りこくる、かつ、さとらせない

という方法をとりました。

大きな目的は衝突を避けることだったので、まあまあ、目的は達成されたと思います。この2年間でスマートフォンタブレットが普及し「気取りやがって」視線は柔らかくなりました。

 

で、その間に状況も変化してきたのでそろそろ自分の趣味興味に素直に行動しても大丈夫でしょう、という感じになって来ました。

このあたりは、同じように田舎に住んでいても出身地かよそ者かで対処法が違ってくるところだと思います。また、地元の人と結婚しているなどその人の背景によって、見る側の都合が変わるので、ひとりひとりが考えて対処法を出す事になるのでしょう。

 

これからの課題は先に書いたような見慣れないものを使っている人に対して「気取っている」という見方をする人とどのような距離感でつきあっていくか、対話をすべきかなのです。全く接触を避けることは人口が少ない社会では不可能ですので。

 

そのうち、いい打開策が出てくることを祈って、

自分の趣味・興味を追求していきたい、ってそんな大袈裟なことではなく、ボールペンぐらい好きに買わせろ使わせろ、私費で購入するのだから、といった感じです。

 

一般的な感覚では私は決して変わった趣味をしているわけでもなく、興味を持つ分野もニッチ分野だったりはしません。このブログで書いていることの範囲が、だいたいのところです。追求の度合いも、そこそこ。

おそらく、田舎でこんなモンにお金を使う人がいない、という事なのだと思います。

 

もう一つ、世間ではどういわれていようと私はこれがいいの、というマイ・ウェイ体質がワザワイしていると思います。

高校時代のトイレブースの好みとか、もう、自分でも説明できないし、なんの違いがあって好き嫌いが分かれているか?

意味がわかりません。

大学時代は「嫌いな電車の車両」がありました。←あほうか、コイツ。と今の私が言います。

 

まあ、ぼやきはこのくらいにしましょう。

 

一般解として、もう少し考えてみます。

周りが理解しない行動を続けることが「変わりモン」になるならば、それはもう「しかたのないこと」だと思います。

同じ場所=島に住んでいても、生活の背景=何にお金と時間を使うのかを皆に理解してもらう事まで、私の責任だとは思えません。本当に仕方のないことだと思うのです。

ヘリクツを付け加えれば、「変わりモン」を許容できる地域って結果として「豊かな社会」になると考えています。あなたが変わりモンでいることは、社会貢献なんですよ!きっとね。

 

まあ、いい年して、世間の言うことや他人の考える人生を生きるつもりは、サラサラナイノデ。

 

えーっと、結論、、、なんだろう、、、。

 

愛していることが他の人とは違うって、普通のこと。

それでも、「私の普通」を持ち続けるには

戦略が必要な時と場所があって

戦略の方法論があります、必ず

「私の普通」を捨てない方法はあるはず

 

もう、自分をはげましているのか、、、混乱のどあいはさらに増した気がする。

またねー。