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解明できない不愉快な気持ち

私は、自分でもなぜ不愉快になるのかわからない人の言動があります。

それは

他人の容姿の衰えをバカにすること

 

さすがに、身近な人にその様な発言をする人は少なく、たいていは有名女優やモデルに対して

「この人もひどいことになってんねー」

などとテレビのまえでつぶやかれたりします。完全にプライベートでの発言です。

 

このような発言は公人やおおやけの場所での発言だと、問題になると思いますが、家庭や私的な場所の場合、全く問題になりません。しかも、見たままを言葉にすること自体、現実を認識し、適切な表現をしているわけでむしろ良い能力/使える能力だとさえ言えると思います。

と、理屈では理解しているのですが、私は不愉快でたまりません。

 

例えば、この人。エリザベス・テイラー。撮影時の年齢は解りませんが、中年期でしょうか、若いときの初々しい美しさから、「女でございます」という時期ですね。

 

最晩年の写真だと思われます。

晩年も香水ビジネスをしたり、チャリティーをしたり活動的でした。

その活動の何かの際にNHKのニュースが取り上げ、それを家族で見ていました。

その時、言葉自体は忘れたのですが、母が「昔はあんなに美人だったのにねえ」というようなことをウキウキとした口調で言ったのです。

これに反感を覚えて「今でも十分きれいでしょう」と、思ってもないことを言って、母にくってかかったことを覚えています。

 

私が反感を持ったのは

母のウキウキとした口調

でした。

 

そして、この人はジャンヌ・モローです。フランス人女優。

 

最新作の「クロワッサンで朝食を」で全身シャネルでわがまま老女を演じていました。

 

モローもテイラーも同じように年をとって、若いときとは見違えるような容姿になっていますが、

モローの方はなんだか「いい感じのばあさん」に見えるのです。これは、シャネルを着てるから、しかも似合っているから、だけではないように感じました。

テイラーは病気や怪我などで入院することが多い人生だったことも関係していると思いますが、「痛々しい」のです。太ったことも関係しているかもしれません。事実はどうだったか解りませんが、苦難の多い人だったのではないか、と思わせるものが画像から伝わってきます。

痛々しい人を見下げるような、ウキウキした口調での「昔は美人だった」に反発したのでしょうか。

 

見下げる対象を見つけて、安心したい気持ちが人にあることは仕方がないことだと思います。とくに、自分に自信が持てない時や価値がないのでは?と悩んでいるときは、自分よりひどい人を見つけて、心を落ち着けたいことがあることは理解できます。

しかし、このときの「ウキウキ口調」は許せませんでした。

 

解明できないのは、このときの私の「許せない気持ち」の方なのです。

 

なぜなら、私の方は何一つ傷ついていないし、母親の下品な言動に幻滅するような年でもなかったのです。また、母はテイラーの幸せそうではない様子など感じなかったと思うのです。

 

同じように、言葉だけ取り上げると全く問題ないけれど、その時の口調や表情がその場にそぐわず、気持ち悪かったり、不愉快だったことは他にもありました。

身内が危篤状態にある人が喪服を買ったことをにこやかに報告したこと。このニコヤカサは気持ち悪かったな。あまりにも気持ち悪かったので、その時の様子は省略します。

 

 

うーん、なんだろう。言葉の文字通りの意味と発言されたコンテクストのずれに悪意を感じていることは確かです。

その悪意をごまかそうとしているところが気持ち悪く、不愉快なんだろうか?

えーっと、つまり、その人に欺瞞を感じている。

うーん、それだけ?自己欺瞞が不愉快なのか。自己欺瞞≒自己防衛なのでほとんどの人が持っているものだと思うのですが、なんだろう、腑に落ちない感じ。

 

あ、、、あ、、、、。この不愉快な発言の両者に共通していることは「母親」だ。

ふたりとも母親の立場を持っている人でした。

ひとりは私の母だし、もう一人は子ども5人の子だくさん母さんでした。

ってことは、私が目にしたことは「母親の自己欺瞞≒自己防衛」である。

とすると、はあー、、、あー、、、なんとなく当たりがついてきました。

 

この喪服の彼女、普段から「私は ‘子育て’ をしたくて結婚し専業主婦になりました」と明言していた人なのです。そういうひとが自己欺瞞≒自己防衛≒なによりも自分がかわいい、という言動を見せたので、「自己中心的な母親」という子育てには向いてなさそうなビジョンが浮かび、そこに不愉快というか違和感というか、とても気持ち悪い印象を持ったのです。

こどもよりおやがだいじとおもいたい/って太宰治が言ったらギャグで済むのにねェ。

私の持っている母親像がやはり「子どもが中心」というもので、その部分が食い違ったのが違和感の正体ですかね?

 

わが母の場合も同じでしょう。なにを良しとするかの価値観のズレです。

テイラーも容姿が衰えたね」という言葉意味とそれが発言された文脈、コンテクスト(ウキウキした口調)のずれは母自身の価値観を守るものだったはずです。

ですが、それが私の価値観

「美しいものはそれだけで評価されてしかるべきだし、それなりの扱いを受けるのが当然だ。美しさが失われてしまっても、その人へのリスペクトはあるべき。」

とぶつかってしまったのでしょう。

そして、当時はこのように自分の価値観を言語化できていなかったので、思ってもいない「今でも美人だ」などと無理筋な弁護をしてしまったと思います。

 

 

ふぅー、結論らしきものが出るまでえらい長くかかってしまった。

 

人というものは複雑怪奇な生き物なのですねえ。

えっ?美人の何が良いのか、って

 

そりゃー、あなた、美人の最大の価値は「見ればわかること」ですよ。

すがたかたちを見たときに美人かどうかの判断が微妙な人はおそらく、上品とかおしゃれとか別の言葉で形容されるべき人だと思います。

 

ま、これからは、母親でも自己欺瞞、OK!ってことで決着をつけましょうか。

 

またねー。