女の子のマーチ・2015(中年版)

女嫌いという文化があるのですが、これは一般的に知られているのでしょうか?ミソジニーという言われ方もします。

ミソジニー - Wikipedia

私はミソジニーを「女性の自立と自由を制限する物事および考え方」と、とらえています。

日本の男女間文化はこのミソジニー女性嫌悪がベースになっているのではないかと考えています。これは私オリジナルの考えではもちろんありません。

 

それで、この女嫌いの文化が、たちわりいぃなぁ~、と感じるのは、当の女性達も女嫌いにしてしまうことがあるからです。女性自らが自立と自由を制限してしまうのです。

 

私が最初に「女性の女嫌い」を目にしたのは、小学生の時保健室で読んだ先生向けのパンフレットです。そこには小学生対象のアンケート結果が載っており、その中で「次に生まれてくるときも女の子がよい」と言う質問に、実際の数字は忘れましたが過半数以上の子どもが「いいえ」で回答していたことです。

これには当時小学校4年生だった私は、言葉も出ない程衝撃の内容でした。

毎日一緒に遊んでいる、まりちゃんやクラスの女の子達のうち、半分以上が次は男の子に生まれたい、と感じている。なぜ?

 

つぎにビックリするのはだいぶ間が空いて、大学に入ってからです。沖縄には女子校がないので(事実上の女子校はありますよ、商業高校とか)女子校出身のクラスメイトの物事への反応がいちいち面白くて、よく話していたのですが、その彼女が女嫌いでした。何かの拍子に「だから女ってイヤ」と吐き捨てたのです。なんで女子校に進学したのだろうか?女子校に行ったからこそ自分の好みがはっきりしたのかな?

あ、あ、脱線した。元に戻しまして

えー、さて、、、大学時代のこの彼女、一時引きこもり状態になったのですが、このときに気になったのが「自己肯定感の低さ」でした。つまり、「私はイケてない」という自己評価です。私は「自己肯定感」という言葉も知らなかったので(なんにも知らなかったのだな、わたし。)彼女の自分を低く見せるような言葉の数々に、「なんだコイツ」というような冷たい反応をしてしまいました。

 

と、このように当時は「女嫌い/ミソジニー」と言う言葉を(もちろん)知らなかったのですが、女なのに女が嫌いな人がいて、ふーん不思議だ、と感じていました。

 

 そして、私自身に大ショックな事が起きるのです。結論だけ申しますと

女嫌いな彼氏にあれこれだめ出しをされて、おまけにひっぱたかれる

です。ひっぱたかれてからは、即撤退。その行動の早さ(決断の早さ)に周囲はビックリしていましたが、そこは、あたくし、離婚王国沖縄で育っておりますの。DV男が立ち直らないことは子どもの頃から見聞きしていましたので、とにかく逃げまくることだ、としばらくは見つからないようにコソコソと暮らしていました。十分にミジメでした。

このことが堪えたのは、彼が「女嫌い」だと言うことが、最後の最後で判明したからです。あれやこれやのだめ出しは「愛情」のパッケージで出てきましたし、女嫌いが女の体を触りたがること、の理解が出来なかったのです。

 (DV:ドメスティック・バイオレンス家庭内暴力/親密関係での暴力)

と、こんな感じで無知であった私が「女嫌い/ミソジニー」をはっきり認識できたのは、私と同じような経験をした人と偶然知り合い、お互いにDVに関する書籍を読み、対応策を考えたり、などと経験を分け合う人がいたこと

もう一つ、正反対の存在を見たことです。つまり、「女好き」

友人の職場の上司でしたがとにかく「女の子が好き」という人で、もちろん既婚者。

その友人は大変な美人ですが、私は普通中の普通です。その様な人を相手にしているときも、「女の人と一緒にいるときがとにかく楽しい」という雰囲気を全身から出しているのです。妙なウキウキ感がこちらにも伝わってきて、「既婚者なのに」という目くじらを立てる気にもなりません。ちなみにこの上司、おしゃれではありましたがとてもじゃないが顔が良いとは言えませんでした。清潔感のある好感が持てる、という程度の見目の麗しさ、でした。

真性の女好きを眼前にして、へー、ほんとうに「おんなずき」っているのだな、

と感心しました。そして、恋愛関係を持つならこちらだ、とも思いました。

それからほどなくして、「日本の男女関係ってミソジニーが基本なのかな?」と思わせることがたくさんあって、えー、例えば、ホントにベタな例ですが家庭を顧みない夫、という人達を大量に見たことです。

 んで、その時に「女嫌いの男の子供を産むなんてとんでもない」と感じ(自分をバカにしているものに命かけるとかできないでしょ)私の人生には実子を持つという選択肢は無い、と決断しました。

 

このときが、26歳くらい。

 

今になって気になることは、大学時代のあの彼女、女が嫌いで、自己肯定もうまくいかないまま、結婚して家庭を築いているのだろうか?というところ。

子どもは持ったのだろうか、子育ての過程で自信を回復したのだろうか、相性の良い夫と出会い、女性性を楽しめるようになったのだろうか、仕事は続けているのだろうか、、。

合ってみたいような、知りたくないような、といったところです。

 

この人も、ミソジニー文化に苦しんだ末の今現在、なのではないかなと勝手に推察しています。

(中村さん、勝手にすいません。)

cakes.mu

(この人の素直な文章がとても好きで読んでいます。別のサイトの連載ではパリジェンヌの脇毛事情などのレポートもあり、大変面白いですよ)

 

ミソジニーや女性嫌いなどの言葉は出てきませんが、「結婚しないと幸せになれない」と普通の女性を追い込んでしまうのは、結婚制度の中で女性が生きてくれれば安心な人々がこの世の中にたくさんいるからではないでしょうか。

また、「結婚していないと不幸」という考えをしていると、自分で考えて自分で決める、そしてその責任も取ります。という自立の基本(大人になる)を成し遂げることも難しいでしょう。

 

この中村さん、パリで「ただ愛されて、ただ愛したいのだ」と自分が何をしたいのかを発見します。普通の若い女性がきちんと自分のやりたいことを見つけた。地味で平凡な結論かもしれませんが、自分の行動を通して、見つけたことには価値があると思います。

また、若い人の男女関係は私のような中年が心配しなくとも、自分たちにフィットする関係を築いていくことが出来るでしょう、と頼もしくも思いました。

 

ま、これからは日本人同士で、ってのは前提ではなくなると思います。

 

グローバルってこういう事なの?

そういうことよ。

女の子たち、がんばれ! 

 

またねー。