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紀伊国屋とアマゾンの対抗戦どちらが勝っても得する人は誰?

都市と辺境

結局、誰得?

www.nikkei.com

 
紀伊国屋書店、新刊の9割を買い上げる事で、流通量をコントロールする、という事なのか。
ふーん、これって私のようにいちばん近くの書店までフェリーで80分、加えて車で30分という環境に住んでいる人には全くメリットがない。
 
それはまあ、置いておこう。日本人口の1%のそのまた少数の言い分、それを聞いてくれというのは図々しい話であろう。
 
紀伊国屋書店が結局何をしようとしているのでしょうか?
 
書店におけるプライベートブランド商品の開発。
リアル書店・自社ネット販売に足を運んでもらうための目玉商品作り。
 
書籍の流通ルートを変える。(そしてリアル書店の維持?)
 
うーん、思いつくのはこのくらいかな、、、。
いずれにしても、読書が好きな、しかもお金を払って本を読む人に対して注意を払っているような対抗策ではないと感じました。
 
紀伊国屋って確かシアターか劇場かを持っていて、独自の文化産業を展開できる道具は手元に揃っているはずなのに、何してんだろう、とも思います。
 
今、ちょこっと思いついたのだけれど、Amazonが取り扱う商品の種類を増やしたおかげで、田舎暮らしの買い物に時間がかかるという不便さは劇的に解消されました。(もちろん全てが解消されたわけではありません。)
Amazonの利便性の価値を都市住民と辺境地住民で同じように感じているとは考えにくいです。しかし、都市に住まう人であってもAmazon、便利に使えるサービスだと思います。
これって、文明的な力だよね、と思ったのです。どのような地域に住んでいてもサービスの利便性を享受できる。その代わりきめ細かいコミュニケーションはありません。
 
一方、紀伊国屋。やはり一定の集団を対象にしたサービス開発なのです。この場合は「書店に行く事のできる地域に住んでいる人」という文化圏を対象にしたサービス提供の考え方のように思いました。
 
これはどちらが優れているとか言う話ではなく、得意なサービス設計の違い。
 
私はリアルタイムで経験していませんが、渋谷の都市開発は西武と、もう一つ東急もかな、の2大民間資本による開発で、やっはり文化圏の創出だったように思うのです。中心にあるのがコンテンツというか、モノ、なのですね。
そして、その文化圏に入るこのができる人には、とてもよいもの、だったはずです。(勝手に過去形にしてすいません。)
 
で、Amazonに代表されるアメリカ文明型のサービス開発は「モノの流れ」にサービス開発の重点を置いているような気がします。そしてどのような人にも恩恵を与えるのは、圧倒的にこちらなのです。
 
この紀伊国屋Amazon対抗策、うまくいっても東京圏の人の利便性が高まって、めでたし、ってことかしら?結局、東京の圧勝、なの?まぁ、それでもいいけどね。
 
またねー