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自由の世界をまもるために意識したい「問題」のありか

未経験のことをやってみることには、いくつになっても「経験としての価値」があるのではないか。

と感じました。このデモとか。

www.sealds.com

人混みが極端に苦手、とか体力的に自信がない、遠すぎていけないなどフィジカル・経済的理由で参加しないなど、いろいろあると思います。が、「どんなものなのだろう?」という好奇心があるなら、主張に賛同できなくても一度はのぞいてみるのは「経験としてよい」と思いました。

あ、そうそう、いっそのこと賛成している集団に参加するのも良いかと思います。

 

いずれにせよ、物見客を受け入れてくれそうであれば、一度は流れに飛び込んでみるのはとても面白いとおもいます。

 「デモ、やってみたい」というアホみたいな動機でも、いってみれば報道だけではわからない情報が受け取れるのが、「現場」というモノなのです。

 

「現場に行ってみればわかることがある」は私が東京に住んで学んだ最大のことです。

 

こういうのも、そうだと思う。今はもう無いんだっけな。

すき・きらい。楽しい・楽しめない。などの判断は行ってみて後のことです。

未経験のことで、興味があるなら、それはあなたにとってやってみるに値することなので、まずは現場に行ってみることです。それが何になるかは、やってみた後の事なのですよ。

www.zakzak.co.jp

これ ↑ もそうだと思います。

 

行ってみた後、継続するかどうかは行く前は問題ではありません。

何かをはじめる前にどのような結果を得たいかを考えるのはビジネスです。

また、行動の結果が出る前に判断する事は思考停止です。

www.sankei.com

この人 ↑ はまだ始めたばかりで結果は出していません。メンバーはいつかの時点で、この行動の結果について総括をしなければならないと思います。でも、それは今ではないと私は思います。

いろいろと批判されているようですが、「今、問題にすべきこと」は何でしょうか?

 

そして、こんなに世間が騒いでいても、ワレカンセズ。私はこちらに行ってきます。

 私には行動の自由があります。それは私が他人の行動の自由を尊重しているから守られていることです。

 

 

また、もう一つの大きな自由。言論・発言の自由。

president.jp

言論・発言の自由も人にはあります。でも、いつでもどのようなときでも発言して良いワケではありません。フェアー(≒発言の責任を取る)であることは最低限のルールです。発言の責任を取るとは「誰がいつどこで発言したか」がわかる状態で話すことです。言論・発言の自由はこの「誰がいつどこで」をみているひと=ジャッジ、または観客がいないと成立しません。

しかし、その最低限のルール、フェアーであることをジャッジする人がいない場所があります。

 

そのような場所でできることは

①発言がフェアーであるか自己判断する。(発言の責任取れますか?)

②そのような場所での発言は割り引いて受け取る。場合によってはブロックする。

これが、ジャッジのいない自由空間、をまもる方法だと考えています。別名「マナー」あるいは「コード」です。

 

また、この場合の盗作疑惑の場合あまりに告発した人の数が多すぎて、発言の自由というより不特定多数による言葉の暴力だと思います。

告発自体は一つ一つ正しかったかもしれません。

しかし、問題は「ベルギーデザイナーの告発」であって、他の作品について「今、問題にすることか?」は問われるべきです。

www.huffingtonpost.jp

 

「今、解決しなければならない事は何か?」はもっと意識されていいし、「そもそも、批判すべき問題なのか?」はもっともっと意識したい。

 

こんなに大騒ぎされると、何かを隠すためのスキャンダル・トラップかと思ってしまいました。たとえばこんな事。

モニカ・ルインスキー - Wikipedia

www.ted.com

これ、一部ではアル・ゴア政治献金問題を隠すため、と疑われています。

事実でないと言うことでなく、疑いをそらすためにマスコミが大きく取り上げ「問題/スキャンダル」に仕立てたということ。

ビル・クリントンが女性に潔癖だなんてだれも思っちゃいなかったでしょう、実際辞任には追い込まれなかったし。

 

社会に問題があるということは、解決すべき問題、解決すれば誰かが楽になる・助かることがあるということ。

問題があること自体は良い事です。

少なくとも、あなたが良心的な大人なら問題をごまかさないでほしい。

そして、みんなの力を使うなら、「解決すれば楽になる人がいる問題」の解決に力を合わせましょう。

 

私はこちら ↑ に行ってきます。

 

 

では、また。