おばさんはミタ、会田誠展その1

新潟県長岡市で開催中の会田誠展について。私はこう見ました、というお話し。

この企画展を見る前に決めていたことは

①展示作品の中で買うならどれで、その価格は幾らか?を考える。

②美術館の意識されていない新しい価値は何か?を考える。

の二つです。これを考えながら見ていたのでとても時間がかかりました。脳が疲れるはずです。

展示の見方は最初の30分で全体の量を把握するためにザッと展示室全てをまわりました。その後、アタマから見ていきましたが、ビデオ作品だけはまとめてみました。

 

えー、ところがですね、買うならどれは決められるけど値段はさっぱりわからんことに気がつきまして、えー、どうすればいいのだろうとしばし考えまして、

1.沖縄県立美術館が買うならどれで、それはなぜか?

2.すでに画業で食える作家が公立の美術館で個展をすることってどういう事なのか?(作家・来館者の両面から考える)

に、問いを差し替えました。

で、今日のところは1について

結論から言いますと

平凡な結論になりました。「戦争画RETURNS」のこれです。

「 大皇乃敝尓許曾死米 ( おおきみのへにこそしなめ ) 」

 

理由も単純です。沖縄(戦)が取り上げられているから。と、教材として使いやすいと思ったからです。

初見で、下地(といっていいのか)に使かっている観光パンフレットが、沖縄を含めた太平洋戦争時に南洋激戦地帯の島々・土地だと気がつきました。

これは、沖縄に生まれて今も住んでいる者としてとても嬉しいです。沖縄戦の側面をこのようなまとまり(現在はリゾート)として考えている人が少なくとも一人はいるのだと思うと、感じるものがあります。

美術館が税金を使って買って良いと思う理由は「沖縄戦を表現する方法」として新しい材料を使っているから、です。教材として使いやすいと考えた理由も同じです。旅行パンフレットで激戦地の土地と今の姿の両方(地理的な位置と時間的変化)が示せますし、「旅行パンフレット」は今(2015年)なら何に相当するかを考えるなど、展開が考えやすいと思いました。

 

 

この、「沖縄県立美術館が買うなら~」を考えるために展示作品をどうやって見ていったかというと、もう、ひたすら「5W1H」の問いに答えていく作業でした。

How:どのように作られているか?材料と制作方法はなにか?

What:なにが描かれていますか?モチーフは何?

When:作品の中の時間、または制作年はいつか?

Where:作中に描かれている場所はどこか?

Who:作者ってどんな人?(作風はなにか)

Why:なぜ描かれたか?(発注か?)あるいは作品の疑問点はあるか

絵画作品を中心に「5W1H」を埋めていく作業を(てきとーに)していたのですが、

 

途中でハタと思ったことが

この作家って「ありえない世界(観)をリアリティーを持って描く」から「世界観」に同意(共感)できないときは、見る側には「同意できない世界(観)が現実感を持って目の前に表れる」のですごくは腹がたつ。おまけに、その同意したくない世界観は現実の世界(社会)を多少は反映したモノだと認めざるをえないところが、なんというか、逆上を誘う。

と、このようなことを考えました。

これはこの世界観に同意できる人にはすごく良いものとして作品を捉えると事になります。上記の文章を同意できないを同意・共感できる、腹が立つを感激する、に入れ替えると作家のファンの説明になります(よね?)。逆上を誘うは、ま、なんでしょう?適当に好きな(前向きの)言葉を入れてみてください。困った時は「愛」とか入れると文章はなんとなくまとまります。

 

それでね、なんでこんな事を考えたかというと、やはりカチンとくるものがあったのです。こちら ↓ です。

ジャンブル・オブ・100フラワーズ

 

それと同時にこれには身につまされました。

灰色の山

 

どちらの絵も、見ている途中で

あ、私(の社会的立場)はこの絵に描かれている側にいる人だ

と感じたのですが、前者には腹が立ち、後者は「いい絵だなー」と感じてしまいました。

二つとも、私の心を動かしたことは確かなのです。前者は気に入らず、後者はには感じ入りました。この違いはなんだろうと考えてみますと

前者が受け入れがたい自己像

後者が受け入れている自己像

なのだと思いました。わたしの自己像って、おっさんなのか、、、しかも死んでる。

と、多少混乱。

 

それで、どちらの絵も「今の社会状況ってこうなってますよねー」と認めざるを得ない部分があって、私が一生懸命考えるのは「受け入れがたい絵なのに認めざるを得ない」時なのです。

つまり、シャンブル・オブ・100フラワーズを見ているときの方が「何が気に入らなくて、でも認めざるを得ないのはこういうところで、、、」と自分に向かって懸命に説得し始めるのです。

 

 

そして、こういうことをゴチャゴチャと考えているうちに、前述した

ありえない世界を現実感のある表現で描く作家

ということと、

嫌われる作品を作れると言うことは社会から反応があるという意味で「作品にパワーがある」のと同じ事なのだ

ということに加えて

この作家は提示している世界観に合わせてどこまで細部をかき込むかのコントロールがうまいのだ(見ている側の反応を引き出しやすい/エンターテイメント性が強い)

などと考えました。

 

などなど、まだまだ考えたことはありますので続きは後で

またねー。