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ネットとか図録とか二次メディアでは伝わりがたいモノ

会田誠展で考えたこと、の続きです。

考えたことは「すでにマーケットで食えている作家が美術館で展示する意味」です。

これには「公立美術館が現代美術(作家が現役)をあつかう意味」と「公立美術館での個展の意味」の二つの問いがあると思いました。

 

で、さきに「個展の意味」から

事前のリサーチをしていなかったので、企画展のポスターがこれだったのにはちょっとした驚きがありました。ネット限定の広告写真だと勝手に思い込んでいました。

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会田誠 展 | 企画展 - 新潟県立近代美術館(←美術館HP)

何に驚いたかと申しますと、「本人、写ってる」です。「本人が写ってるんです」

ついでに余計なことを言うと、このポスター写真から連想したのが「聖母子像」です。

 

http://kinbi.pref.niigata.lg.jp/tenran/kikakuten/aida-makoto-2/

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(これ ↑ はジョットという人の聖母子像です。キリストらしき赤子、ソリコミ入れてます、、、。)

 

なぜ、本人が写っていることに驚いたかというと、ご本人が著作で

「美術家は時限爆弾装置を展示会場に設置するようなもの」

といったことを書いていて、私の理解は

「美術の人(の一部)って、人とのコミュニケーションに時間差を置きたいものなのか」

でした。なので、本人がポスターに写っていたりすると直接のコミュニケーションが生じるはずで(声かけられますよね、おそらく)どうしたんだろう?と思いました。

 

まあ、個展であることが一目でわかるという、わかりやすさは申し分ないと思いました。

それで、「個展をやる意味」ですが

公立美術館で特に今回の場合、作家の地元だ、という大きな理由があります。

やはり、新潟県民に対して一番アプローチをしたいでしょうから、同郷のアーティストの個展をやる意味は十分にあります。また、次世代プレイヤーを育成するという意義もありそうです。

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(新潟 ⊃ 世界)

新潟は世界を含むって読むのかな、、、。展示室入り口に複製がありました。

また、作家の幼少時から中学・高校・大学・大学院までの作家以前時代の水彩画、油絵、オブジェ?、童話などの展示があり、私には「地元ってことで、出血大サービスです!」に見えました。

この「作家以前」の展示で気に入ったのが、高校生の時の皿+?:タイトルは「会田家へ」だったと記憶しています。そのオブジェを包んでいる新聞紙に「作品、すてるな」と書いてある展示です。この時期に「作ったモノ=作品」の意識があったのですね、、、結構、早熟少年であったのかしら。

 

展示作品は「美少女身体欠損もの」(と私が勝手に名付けたシリーズ)はほぼカットされておりました。こういうもの ↓ 

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(犬(雪花月のうち月))

 

このように、企画展全体が

「地方の公共美術館での展示」であること

(「犬」シリーズを展示しない、18連作のポスターで幾つか外している、など)

「地元開催」であること

(プロ以前の作品展示)

両方へ配慮したかたちになっていました。

 

その他に私が展示全体から感じたことは、

会田誠さんの美術表現のデタラメに近い多様さに圧倒された。

ビデオ作品における役者ぶり。自分の書いた脚本なら「うまい役者」ができる人なのではないか、と思った。

 

えー、それでですね、、、「個展の意味」ですが、見る側からの意味は一般的には、作家のテイストを知る事ができる。テイストとは表現のクセとでもいいましょうか、多くの作品に共通するモノがあることに気がつきました。

 

屏風の形式を使うものがやたらに多かったり、作品の材料に「その辺で手に入るモノ/画材店で購入しなければならないモノではない」が多用されていたり、例えば、ダンボール、ふすま、画材としてペンキ、などです。

このようのものを「テイスト」だと感じたのですが、用語の使い方は間違っているかもしれません。

これは展示をみれば、すぐに感じる事ですが、「図録」から、これを読み取るのはなかなか注意が必要だと感じました。私のように美術を学んだわけでもないふつうの人でも展示だと「テイスト」を感じるのは集中力が必要、ではありません。

 

材料のテイスト以外のビデオ作品での本人の役者ぶりについては、ビデオ作品をまとめてみたので、感じたことかもしれません。

特に「日本の首相と名乗る男の演説」(というタイトルだったと思います)では、演技なのか本心で話しているのかわかりませんが、

ヘイトスピーチの思想的根拠であるナショナリズムを突き詰めると当然「鎖国」というウルトラナショナリズムに行き当たります。それを「国際会議」という超フォーマルな場所で主張する場合、どうなるのか?

という作品設計だと思いました。スピーチ原稿は展示されていましたが、そこには示されていない、「脚本/ストーリー」があるばすと思わせるような演技でした。

 

また、アメリカ・ドイツ・フランスのアーティストに扮して透明アクリル板に描いていくパフォーマンス(なのかな)ビデオなどは私から見るとコントすれすれ。

作者の意図とは違うと思いますが、私は衣装の選択、特にアメリカ・タキシード、が皮肉が効いていて面白かった。アメリカはイギリスとタキシード/ディナージャケットの起源を巡って言い争いをしています。「常に覇権を握りたいアメリカ」という台本でしょうか。

 

などなど、もやもやしたことを考えました。

えー、えーっと、それで、

個展を見ると作家のテイストを感じる事ができる。

 

で、このことが見る側にとってどんな意味を持つかは、次のアートフェスの機会を待ちたいと思います。結論は出せません。

 

それにしても、今回の旅はとても収穫が大きい。考えたこと、感じたことの多かった旅でした。現地に行く、実物を見る、事の大切さを改めて実感した旅でもありました。

また、30代後半頃から考えている

「これはすごい、と思うものは、お金を払って使ってみるべきだ。お金を払ってものを使わないと、自分の価値観は作れない。」

これに、確信を持ちました。

つまり、私にとって美術の価値は何か?を知りたければ、「これはすごい、と思ったものを買ってみること」だと思いました。この方法は多分、時間的なコストが一番短い方法だと思います。

また、30代を長い長いデフレ経済下で過ごしていて、「ものを買うときに決め手になるのは安いこと」と言う人に反感を持っているのですが、今回の旅行で「反論の手がかり」が得られました。

もう一つの、「美術館が現役作家を扱う意味」については、また別に書きます。

 

今日はグダグダになってしまいましたが、まあ、会田誠展で考えたことにまとまりをもたせることは、まあ、なんでしょう、らくだに乗って針の穴を通るようなものだ、としましょう。

 

では、また。