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自分を表現すること、と「自分の表現」を追求すること

今年は何かと目標も定まらず、ぐずぐずの1年でした。しかし新しく始めたことや、若い時の趣味を再開したり、方向性を見失いながらも変化はあった年だったなー、テレビを見ながらダラダラと振り返っておりましたところ、ふと思いついた言葉がエントリタイトルです。

自分を表現すること、と「自分の表現」を追求すること、の違いについてです。

 

ものすごく乱暴に言ってしまうと

自分を表現することは全ての人に必要な技能(スキル)で、コミュニケーションの基礎となるもの、と捉えています。

表現と言っても難しい事ではなく、名前を呼ばれたら返事をする、ことから始まり自分自身について説明できることが「自分を表現すること」だと思います。

具体的には「私はアレルギーがあるので牡蠣は食べられません」ということを必要なときに発言できる、こういう事を「自分を表現」することだと捉えてください。

 

もう一方の「自分の表現」とは、プロになる為に必要な資質だと思いました。

作品におけるシグネチャ(著名・サイン)といいますか、作品の中で伝えられているメッセージそのものよりも、それを表現している技法の説得力といいますか、その力が強いのがプロの表現なのだ、と考えています。

上記の具体例でたとえると「私はアレルギーがあるので牡蠣が食べられません」を絵や音やその他の表現手法を使って、一定数の人に感動/共感を持って受け止められる文脈(コンテクスト)を作ることができる、ことです、、、って、わかりにくいですね、、、。

 

えー、っと、やり直してみます。

私はアレルギーがあるので牡蠣が食べられません」という一文を一定数の人に感動をもって受け止められる状況を作ることができる、ことが「自分の表現」が出来る人なのです。

って、あまり変わらないか、、、。

 

しつこくやり直してみましょう。

「自分を表現」することはその先に相手との共存共生を目的としており、「牡蠣が食べられないなら、どうしようか?」という対話が必要とされます。これは大人であれば、どんな人にも必要とされる技能です。

「自分の表現」は相手の心を動かすことが目的で、「牡蠣が食べられない事」について相手の意識(考え方)を変えます。極端な人なら牡蠣に対する行動が変わってしまうでしょう。これはプロとして表現を続けるために必要な資質の一つだと思います。

 

やり直しても、上手くはなりませんね、、、。ま、いいか。

 

この違いがわかったからって、だからなんなのさ?

 

だから何と言うことはありません。

ダラダラ見ていたテレビ番組がこの人 ↓ に関する番組で

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藤田嗣治 - Wikipedia

(伝記映画が制作され、主演はオダギリジョー、見なきゃ!)

 

旅行先で見た絵や

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会田誠:大山椒魚

 

今年の初めに買った10年ぶりの邦楽アーティストの音楽

人間と動物

人間と動物

 

 こちらは ↓ プロダクトデザインをまとめたもの

電気グルーヴ×アイデア―電気グルーヴ、石野卓球とその周辺。 (アイデア特別編集)

電気グルーヴ×アイデア―電気グルーヴ、石野卓球とその周辺。 (アイデア特別編集)

 

 (「電気グルーヴ」という一つの看板のもとにどのようにヴィジュアルイメージをまとめていくかという記録にもなっています。(ファンでなくても)デザインに興味のある人は読み応えあります。)

 

初めて戯曲の読み方がわかって感激した本

演劇入門 (講談社現代新書)

演劇入門 (講談社現代新書)

 
平田オリザ (文藝別冊)

平田オリザ (文藝別冊)

 

 (舞台版「幕が上がる」が収録されています)

 

つらつらと今年触れた表現の数々を思い出してみて、私がかっこいいと感じたり、感激したり、するものの共通点ってなんだろうか?と考えてみて、「皆、自分の(制作について)方法論を持っているな」と思いました。

それで、あ、この人達は「自分の表現」をしているのだ、と思い当たったのです。

 

「幕が上がる」の映画版にある国語の先生の

「こんな時だからこそ、詩や音楽や美術が必要な人もいるのです」

って、セリフに私も賛成。

 

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またねー。