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性懲りも無く繰り返される不倫祭りで考えたこと

今年は不倫の話での大騒ぎが多いので、いったいどういうことが起きているのだろうとネットサーチをしてみましたら、そこにあったのは「公開処刑を楽しんでいる人々」でありました。

 

私が違和感を感じていたのが「不倫って、(社会的に)そんなに大騒ぎする出来事ではないだろう」ということです。(不倫を容認しているのではありません)

性的なことでやっちゃいけない禁止事項のうち、不倫ってそんなにおおごとではないというのが私の認識です。プライベートな領域での話をそこまで大きくするとは、別のパワーゲームが絡んでいるんだろうな、と推測まではしていました。

 

良い機会だと思ったので、自分の性規範がどんなものなのか?と整理してみました。

性的関係でやってはならないこと、重大なものから順に

1.近親相姦

2.不合意の性行為(強姦・痴漢行為など)

3.性行為を売買すること(売買春)

4.独占契約の不履行(不倫・浮気のたぐい)

というふうに考えています。

 

1の近親相姦はそれ自体を罰する法律はなく、

2の強姦罪による法的処罰が下されるようです。

3の売買春は法律で禁止されており、

4の不倫・浮気については法的には「財産権の侵害」にあたります。

また、近親相姦は「インセントタブー」と言って、哺乳類には親子間で性関係が持てないような仕組みが生まれつき備わっていると言われています。

 

それでね、私は1と2は「その機会があっても、いつでも、どんな場合でも避けるべき出来事」であると思います。

けれど、3と4については「その機会があっても、いつでも、どんな場合にでも避けることができるか?」と訊かれたら、私は自信がないんですよ。場合によっちゃー、やっちゃうかも、と思っています。

私の性規範の意識はこんなものなのですが、これが世間一般に対して硬い方なのかゆるい方なのかはわかりません、どうなんでしょう?

 

ま、私の無駄話はここまでにして、

 

最初の話、「公開処刑を楽しむ人々」に戻りますと、

具体的に言えば、乙武さんに「なぜ不倫するに至ったか」を話す場所(弁明する機会)を用意してほしいし、私はそこが知りたい。

だいぶ時間が経ってからの「あの時はこうだった」という回顧録的なことでなく、今、不倫行為をどのように捉えているのか、ってのを乙武サイドのストーリーとして聞きたいんですよ。

 

今回、ネットサーチした際に関連検索ワードとして、「障害者の性行為がどのように行われているのか」に関係するワードがたくさん出てきました。

で、ここでやっと

あ、これ「公開処刑」や「死体見学」に見物人がわんさか押し寄せているのと似ている状況なんだな、と理解したのです。

注目されているのは「障害者の性」であり、不倫や選挙はあくまでも週刊誌で報道するための道具です。

おそらく選挙や結婚に関する倫理感に絡んだ話より、より人の興味を惹きつけているのはこちらの性的な話題だというのは、大人であれば理解できることだと思います。

 

でね、やはり公開処刑というものは、きちんと大衆娯楽として成立しないとただただ血なまぐさいだけの殺人・残虐行為になってしまうので、

処刑を公開する最大の意味、「弁明の機会」を用意しなきゃ、面白くないよ、と思いました。

謝罪ではなく罪人サイドのストーリーを聞く機会がなければ、娯楽としてみている人の好奇心も満たされない、少なくとも私は納得できません。

建前としては

失敗した人には謝罪ではなく弁明の機会を与えるべきだ

として、「障害者の性の実態」を話す機会を、白状させる機会を、作って欲しいのです。

 

公開処刑については以下の論文を参照しています。学術論文で読みやすい文章ではありませんが、公開処刑の娯楽性についてご興味のある方は頑張って読む価値があります。

 

近代イングランドにおける公開処刑の教育的一断面

http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/15887/1/KJ00004683014.pdf

 

そんじゃ、またねー。