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お父さんの日

今日は父の誕生日だ。仕事前にどうにか実家に電話しておしゃべりする。

 

今朝は起き抜けにiPadでラジオを起動しようとしてsiriを呼び出してしまう。仕方がないので「おはよう」と話しかけると「おはようございます。今日はこどもの日ですが、大人の日もあるといいですね」と返事された。

 

「お父さんって、一人暮らしをしたことがないんじゃないか?」

最近思い浮かんだことです。

私の父親がどんな人なんだろうか、と思い出したり・考えたりしている時に出てきました。

 

あ、あの、父は生きていますよ、元気に。今現在、一緒に住んでいないので文章が過去形になることがありますが、生きております。

 

父は戦争中に田舎に疎開したせいか、ずっと街中にいた母とは違い動物(家畜)の世話がうまい人でした。その延長で四人の子供は皆可愛がられて育ったように思います。特に小学校に上がる前までの幼児期は毎日、朝夕にお父さんに遊んでもらう、というような生活をしていた気がします。

 

 そんな父親に激怒されたことは2度ありまして、一度めは私が5歳頃のこと。畳に絵の具で絵を描いた時。2度めは高校生頃に父向かって遠回しに「ハゲ」って言った時。

 

それとは逆に私が父に向かって怒鳴ってしまった時は何度かあります。

7歳、3歳、0歳の甥・姪と父・私で近所のビーチに行った時に、浜に置き去りにされた時。

父の言い分は、そこは造成された人工ビーチだったので、ビーチの先がどのように作られているか見たかったとのこと。子供を置いて行くなよ、と思いましたが、このマイペースぶりは私にもしっかり受け継がれています。

 

花をいけるのは父の仕事でした。

お盆や正月をはじめとした家庭内の季節行事や仏壇ごとのあるとき、床の間や玄関の要所、要所に花をいけるのは父親の仕事でした。

生け花を習っていたことはなく、すべて我流ですが、近所の藪に生えている山野草(つまり、雑草)のたぐいの扱いがうまく、母も父親のセンスを認めてまかせっきりでした。

 

映画が大好き。

私が子供時代は水曜日の最終上映に子供達を連れて行ってくれました。月に2回くらいだったと覚えています。アメリカ映画ばかりを見ていました。

 

稼がなかった。

働かなかった、という意味ではなく、稼ぎの額が少なかった。大学に進学し、奨学金を申請するときに親の所得を報告するのですが、書類をチェックする職員が父親の所得額について、間違っていないか?というような表情で固まっていたのを覚えています。

ま、沖縄は日本全国の平均所得額の7割の所得だと言われていますが、実態は半額と考えて構いません。

 

お父さん、お誕生日おめでとう。

 

またねー。