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セクシャリティーと私自身であること

愛と暴力

 痛ましい出来事だと思いました。

亡くなった男性とその家族にも心が静まる時が来ますように。

www.bengo4.com

 

亡くなった男性がゲイであることをどのように感じていたかはわかりません。自分自身の自然なこととして受け止めていたのか、恥ずかしく思っていたのか、この記事からはわかりません。

しかし、この記事の文面からすると、多くの人に自分のセクシャリティーをオープンにしていたわけではなさそうです。

 

ここで、話を少し迂回して、わたしのことを少しお話ししたいと思います。

私には人には言わないと決めている趣味が幾つかあります。

例えば

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こういった、切り花をいけるとか、山野から切り出してきた植物を生ける、趣味があります。

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他にも、人には言わない趣味がありますが、これらの行為を人に話さないのは

からかわれた場合に立ち直るのに時間がかかるから

なのです。

 

人から見ると、この趣味をからかわれて、どうして立ち直れないかは理解し難いと思います。

花を生けて、その世話をするのが私の「女を回復する」ことにつながっている、という実感があるんです。その女の部分がかなり幼い女=少女であり、その少女の部分を大切にしていると、気分が落ち着いて、自分自身でいられるような感覚があります。

自分自身でいるためにしていることなのです

なので、これをからかわれたら、生きる気力は減退する。

 

今までの経験上、立ち直りが遅いことはわかっているので、自分を守るために多くの人には話さないことにしています。

 

私が誰なのかがわからない、こういった場所でしか話していないことです。

 

この辺りで、最初の話に戻りましょうか。

ここで考えたいのは、

個人的な興味として

人が生きるうえで、性的な傾向=セクシャリティーがどのくらい「その人であること」に関係するのか?

 

社会的な興味としては

裁判で何が争点になるのか、です。

 

被告に同性愛者が差別される現状認識のあったのか、なかったのか?

LINEすることが「加害する」意図があったか?

被告に同性愛者が差別される現状認識がない場合でも、本人以外によるセクシャリティーのカミングアウトは「加害」になるのか?

 

今日のエントリは、結論が出ません。

少しずつ、考えたい。

 

またねー