服従:ミシェル・ウエルベック

今日は鬱陶しくも雨が降り続いた日で、こんな日は小説でも読もうかな、と読んだ本がこれです。↓

服従

服従

 

 3週間前ほどから少しづつ読み始めて、先ほど読み終えたのですが

えー、非常に読後感が気持ち悪い、が、面白いんです。

 

図書館でシンプルな表紙の感じが気に入って手に取って見たら、帯文が挟み込まれていて、その文章で

「フランスで極右・国民戦線と穏健イスラム政党が2022年の大統領選で争う」という内容だというので

今のアメリカやヨーロッパで起きていることに似ているのかしら、と思い借りました。

 

読み終えて気持ち悪い、と同時に面白かった、のです。

物語の主人公は大学に努める中年男性で専門は文学研究でユイスマンス(って誰?)について論文を書いている(いた)、という人物です。

ヨーロッパのキリスト教文明が力をなくしていく過程で、フランスの与党がイスラム教政党になり、主人公はガールフレンドを失い(外国に移住してしまうのです)、父や母と死に別れ、大学の職も失う、その中をどのように(淡々と)過ごしたか、を物語っています。

決して元気の出るようなお話ではないです。主人公の男性の視点に立てば、次々と何かを失っていく物語なのです。加えて、この男性、失うことが怖いのにそれに対してジタバタしたりしない。失っていくことを淡々と受入れていくのです。

誰であれ、人生の中盤には「疲れている状態」が長くなるものですが、この主人公の淡々ぶりや疲れぶりは共感しつつも気持ちが悪い。社会が今現在のヨーロッパ社会から徐々にイスラム教の秩序による社会に変わっていく様子も描かれています。

 

ここで、少し小説の内容から離れますが

タイトルでもある「服従」というモデルがヨーロッパの小説には繰り返し現れること。この小説の中では服従うの例として「O嬢の物語」が引用され、それは良きこととして語られています。

たまたま、私が同時並行に読んでいる悪霊っていう小説の中にも「服従することは幸福だ」という言葉が出てきました。

「服従が良いのだ」というモデルが違う小説で繰り返し出てくるのが、とっても不思議です。

 

ある一つの社会秩序が終わるときに「服従」のモデルは繰り返し示されるものなのかな、とも思いました。

何故?って、、、。

それは、「服従」って方法は弱い個人が生き残りたいときに使うサバイヴの方法だからです。

 

その他は、物語に(私にとって)知らない固有名詞がたくさん出てきますが、それでも楽しんで読めました。注釈なしで知っていた固有名詞はコンラート・ローレンツ(動物学者)ひとりだけでした。国民戦線の党首はマリーヌ・ル・ペンで実在の人物だってのを知っていれば十分です。

描写で面白いのがいくつかありました。

大学人にとってジャーナリストが好奇心に満ちた存在でないのは幸運だった、とか

具体的には書きませんが中年女性の容姿を動物に例える時の意地悪な言い方、などです。

 

たまにはこういう気持ち悪いお話を読むのも面白い。でも、一年に1冊でいいかな。

 

またねー