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批評は遠くて、言論はまだない。

先週末は一人でゲンロン・批評まつりをしていました。

何をしていたかって?これ ↓ を見ていたんです。

live.nicovideo.jp

いつも通り、とーてーもー長かったです。

 

野暮用で沖縄本島のビジネスホテルに宿泊しており、外は寒いし、他にやるべきことはないし、という好条件が揃ったので、かなりの集中力を持って見ました。

あ、飲んでいました。ハイボールです。

 

で、ゲンロン4を読んでも中継放送を見ても感じる「批評は遠い」という印象は変わらないのですが

視点をストレッチ(広げる)したいなら雑誌の購読

ある特定分野を学びたいなら中継放送+書籍購読

だと思いました。

 

なんでそんな結論を出したかと言いますと

私からは「批評は遠い」です(状況)

私が持っている唯一の政治的態度の「米軍基地のある街には住まない」を更新したい(やりたいこと・目的)

という現状があって、やりたいことを達成するために必要なこと(目標)は

1 沖縄の米軍基地について歴史・主な意見を学ぶ

2 沖縄の米軍基地をどういう存在だと捉えているか、を話せるようになる

この二つかな、と考えました。で、ゲンロンのサービスは断然、二番目の目標のために使うのに適していると思いました。

私にとって「沖縄の米軍基地」ってこういう存在なんです、ってことを言うためには「視点のストレッチ」が有効だと思いました。

雑多な書き手が、それぞれの切り口で論考を提出しており、かつ、それらがあるまとまりを持っている「雑誌」と言う形式の方が「視点を広げる」機会が多い、と感じたからです。

 

以上が私の結論です。

 

さて、では、放送の内容について

ゲンロンで特集してきた「批評の年表」の完成を記念して、年表の作成には参加しなかったゲストを呼んでの対論でした。

ゲストは安藤礼二さんと杉田俊介さんの二人です。この二人で「批評の年表」を前半・後半に分けて評価と討論といった形で進んでいきました。

前半の安藤礼二さんのパートで対立軸がかなりはっきりして、面白かった。この対立軸がなかったらなんで「柄谷行人」なのかがわからなかったと思うので、これは良かった。

後半の杉田俊介さんの意見と討論のパートは今の批評の状況と「ゲンロン」の位置がどのくらい違うか、が示されたのが良かった。批評の新人賞などは「書き手の育成」でゲンロンがやろうとしているのは「観客を作る・批評を愛する人を作る」こと。

 

東さんは「批評というゲームの観客を作ること」といっています。それを私の言葉で整理すれば、ゲンロンのやろうとしていることって「マーケットそのものを作る」ということだと思いました。すごいな、ゲンロン。

批評を再生したいという目的のために、場所(マーケット)から用意しようとしているのだと理解しました。

そうだとすれば、そのマーケットで交換されているもの(価値)は何か?

おそらく「言語化する価値」だと思います。

その場所(マーケット)とコミュニティーとの違いは何か?

とても似ているものだと思いますが、マーケットの方が参加するメンバーの参加障壁が低い、と思います。書き手(プレイヤー)を育てるにはコミュニティーが必要だと思います。この辺りは整理できません。

 

先に書いた私の目標とこれらの討論内容がどのように関係するのか、あるいはしないのか、はわかりません。

しかし、達成したいことために場所から用意するという態度、というのでしょうか、方法論かな、これには学ぶところがたくさんあると思いました。

「私にとって沖縄の米軍基地とはこういう存在だ」を一人で言語化するのは限界があると感じているので、この方法は実際に使えると考えています。

 

まま、この目的は今年中に達成したいことではなく、いつか達成できればいいな、という感じです。

ジミーにやっていきますよ、いつも通り。

 

現状では「批評」は身近になく、言いたいことはまだ言葉になっていません。

 

できるかな?

 

またねー