「国体」というパワフルなコンセプト

 今日は政治と読んだ本のお話しです。国民体育大会は無関係です。

私が沖縄に住んでいて、疑問に思うことで政治に関係することは大きく三つあって

 

沖縄本島に米軍基地が集中していることに沖縄以外の地域では知ってはいるが無関心(それで問題がないという認識)なひとが多いのはなぜだろう?

ソビエトは崩壊したはずなのに日米安全保障の体制が変化しない(他の軍事同盟が成立しないのは)のはどういった理由があるのか?

・冷戦構造は終結したはずなのにこれからも沖縄に米軍基地を集中させ続ける事情があるのか?

 

というもので、どれも日本の安全保障に関連する事です。

私が今までのメディアを通して見聞きした議論や意見をもとに、上記の疑問に回答すると

「安全保障(平和)は必要だけれど軍事基地は引き受けられない、そのためにはその問題自体を無視したい」

ソビエトは崩壊したが、アメリカを主軸にした外交政策は変えられない」

「沖縄以外に米軍基地を置くのは政治のコストがかかりすぎる」

といったかんじです。

新聞やテレビ放送レベルの情報をもとに考えると「そう考えると現実に起きていることに説明がつく」と思ったのが上記の説明です。ほぼ印象論なんですけどね。

この説明が、大間違いではないかもしれないけれどそう正しくもないかも、と思うことがありました。

 

何があったかといいますと、この本を読みました。

集団的自衛権の思想史──憲法九条と日米安保 (風のビブリオ)

集団的自衛権の思想史──憲法九条と日米安保 (風のビブリオ)

 

難しかったです、、、。

 

「正しくないかも」とおもったのは、この本を読むまで意識していなかったことがいくつかあって、これは政治に大事な要素だったかもというものが二つありました。

ひとつは「アメリカの影響下にあることを前面に出したくない」という人の存在で、もう一つは「国体」らしきものが現在でも存在している、ってことでした 。

 

インパクトは後者の方が大きかったです。

「国体」といっても国民体育大会ではなく、戦争中の天皇(制)のことです。いまでは天皇陛下は象徴(日本の中でアイコニックな存在)ですが、戦争中はこの制度がなければ日本という国は成立しない(と思われていた)ほど国の根幹をなすものでした。(というのが私の「国体」の理解です。)

その「国体」が戦後になって「憲法9条解釈と日米安保の矛盾した両立」のなかに「国の主権」といったかたちで生きている。

で、インパクトがあったのは安保法制閣議決定の文言中に「国体」と「国民の生命」は並置されていることです。

 

もうひとつの「今でもアメリカの影響下にあることを全面に出したくない」については説明されたら納得できますが、沖縄にいるとそんな態度を取ることが不可能なので、全く忘れていました。

 

この二つの事から感じたことは、思想・信条などのフィジカルな実態のないもの、言葉で作られているものは、フィジカルでないがゆえにしぶとく生きのびるのだ、ということでした。やっぱり、コンセプトってパワフルなんだな、とも思います。

 

さて、おまけです。

「大間違いではない」と思ったところは、日本が得た結論は「日米安保は強化する」で「憲法改正もやらない」というあくまでも現状維持します、っていう態度。

この態度がどのように形成されたかをトレースすることができました。

 

今日はここでおしまい。

またねー。