信じている価値について

本日も政治と読んだ本のお話し、の続き。

よんだのはこちらの本です。

集団的自衛権の思想史──憲法九条と日米安保 (風のビブリオ)

 

前回のエントリでこの本で一番インパクトがあったことが「国体」と「国民の生命」の並置関係だとしました。

 

私は沖縄で生まれ育つ過程で「暖かい(寒くない)場所で生活できることは幸運」と同時に「アメリカとソビエトがけんかしたら沖縄の人は(東京より)先に死んじゃう」ということをごく普通に「そういうものなのだ」と受け止めていました。ソビエトがあった子供の頃、10歳頃の理解です。

「寒くない」と「有事の際には犠牲が出る(可能性が大きい)」ことは善し悪しではなく、沖縄で生きていく与件だと考えており、今でも子供の頃の理解と大して変わりありません。

 

「有事」とは(日本)国民の生命(と財産)が危険な状況になることで、それを回避するための負担・リスク(安全保障の維持)を引き受けるのは「誰かがやらなければならないこと」となので、沖縄に関しては負担が大きすぎると思いますが、おおむね抵抗感・違和感は少なく、受け止めていました。

 

そうなんですが、

国体というなんらかの「システム」、生命でもなく、手で触ることの出来ないサービスのようなものに対してまでそれを維持するために「先に死ぬリスク」を引き受けられるか?というと、、、そんなことは、できません。

私は「国体」にたいしてそこまでのリスクを取って守るべき価値を見いだせません。

しかし、現在の安保法制の考え方をなぞってみると、沖縄に住んでいるということは「国体を守るために犠牲を払う」負担をしなければならない、ということだと思えてなりません。

うーん、たいへん不本意です。

私のような普通の人に出来る政治的な働きかけって「投票と寄付」だと考えており、自分が価値があると思えることにお金を払っていく(寄付する)ことなのですが、、、。

 

私が日頃から感じている「これは大事なんじゃないか」と特に思うことは二つ程ありまして

「自分のこと(態度)は自分で決める」 

「生きている間は生きていたい」

というものです。きっともっと価値を示すのにふさわしい言葉があると思いますが普段使っている言葉であらわすとこうなります。

 

大袈裟に言えばこの二つが私の信じている二大価値です。

思想・信条ってほどのものではありませんが、今現在の私の信仰告白はこのようなものなのです。

 

次回はこの本を読むまで全くわかっていなかったことについて書きたいと思います。

じゃ、またねー。