アメリカン・ビューティーと消費社会への不満

90年代に観た映画を見返しました。自分用のメモです。

公開当時に映画館で見て、主演のケビン・スペーシーの馬鹿ヅラ演技に釘付けになったことをよく覚えています。 

 この映画は42歳の冴えない中年男(妻と一人娘と同居中)が娘の友人に惚れてしまう、ということから「中年男が見失った自分を再発見するまで」を物語っています。

 

1999年の映画で、私は25歳の時にオンタイムで劇場で見ています。主人公の年齢よりお姉さんになった2018年現在の私のこの物語で印象的だったところがだいぶ違っていました。ほぼ20年前の映画なのですね。この映画にはもちろん携帯電話など登場しません。

 

「私にも、精神構築(ストラクチャー)と規律(ディシプリン)とやらが必要なのよ」

16歳の娘が親(主人公)への不満をボーイフレンドに打ち明けているシーンの中でいう、このセリフにすごく共感しました。

この少女の父親は自分探しをしているし、母親は安っぽい自己啓発にはまっている。二人とも自分のことに一番の関心を払っている親なのです。家に帰れば、こんな親が待っている、と思えば、そりゃ「社会に協調したごく普通の頑固な大人」をたまには必要になるだろうさ、と思ったのです。

 

ドキッとした場面は妻を紹介するところで、(妻役の)アネット・ベニングが前庭で育てているバラ(アメリカンビューティー)を摘み取りっているシーンで

「これが妻のキャロリン、剪定ハサミの柄の色とサンダルの色がマッチしている。これは偶然ではない。」

ってところです。つまり。コーディネートしている。私はこの妻と同じタイプ、見た目が大事、って人なので、すごーくドキリトしました。

 

物語の最後に主人公が自分の人生の中で見た美を再発見するところでは、ボーイスカウトのキャンプで見た流れ星やお婆ちゃんの皺くちゃの手、いとこのピカピカの新車(サンダーバードだっだっけ?)、幼い頃の娘の様子、出会った頃の妻、などこれらは全て普通の人生で手に入るもの、が印象的でした。

このシーンはずっとトンチンカンな自分再発見の旅をしていた主人公が、自分の人生を肯定する、自分のささやかな人生を肯定するとてもホッとする場面でした。

 

映画の画面としてはクラシックな名作のいくつかの場面をオマージュがあるようですが、私は、これはマリリン・モンローのカレンダーの真似ではないか?と思っているのがこの映画で一番パクられた場面、これ ↓ です。

 

この映画の背景にはアメリカ社会への批判があると思いますが、特に消費社会に振り回されることへの批判の表現がとても印象的でした。

妻(不動産仲介業)の高級品志向の描き方「イタリア製の生地で4000ドルもしたソファーよ」とか、「私は今日この家を売る」「私は犠牲者にはならない」などを何度も繰り返して言う、自己啓発への傾倒ぶり。夫の言う「見せかけの夫婦でね、僕ら普通の人間、っていうインチキCMなのさ」というセリフ。

お金を払えば、誰でもある程度完成されたライフスタイルを買うことができる、という消費社会の中で、結局何が欲しかったのさ?ってのがわからなくなった、という人の描き方が上手い、と思いました。

アメリカ型の大衆消費社会を批判する人って日本でも結構多いけれど、その消費社会を批判する映画はアメリカ映画が多い気がします。

 

この映画の中でいちばん好きな場面は、主人公が本当に最後の最後に「大人の良識」を働かせて、娘の友達とはできちゃわないところ。

 

あと、高校生役の二人、この当時本当に16歳くらいだと思うのですが二人ともおっぱいを見せている。99年に見た時は気にならなかったけど、今回は「え!?おっぱい見せてる?」とびっくりしてしまいました。

 

アメリカン・ビューティー、いい映画です。

 

じゃ、またねー。